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-BODY&SOUL-

なつやすみ、おわり。

8月もさいごのさいごの二日間。

一日は、かわいい、かわいい…と思ってるうちにはや小学6年生になった姪っ子とデート。

日比谷で「借り暮らしのアリエッティ」を観る約束で出掛けたのですが、その前に時間があったので、秋葉原を練り歩きました。

我が姪っ子ながら、なかなかカワイイ子でして…

と、これ以上書くのはよしとこう。
姪はいつのまにか検索してこのブログをみつけ、読んでいる。この、ひっそり言いたい放題やってるブログを、どーやって見つけたのやら…。

写真のっけると「だめ〜!(ベシっ!!)」と叩かれそうだけど(それも怪力)、目はかくしといたぞ。

…と言い訳しよう。

秋葉原では、「入ってみたいでしょ?」と姪っ子をだしにして、私が入ってみたかったメイドカフェにGO。
生ぬる〜いドリンクが、「愛情こめます、モエモエきゅ!」っと念力すると味がかわるのだからすごい。

それにしても、あそこはもはや『アキバ王国』。

これまでも時折歩いてはいましたが、真昼に目線を変えて歩いてみると、セーラー服姿のおじさんがフツーに歩いていたり、至るところに飾られた人気キャラ、溢れるアニメ・ゲーム・マンガ、コスチューム、言語…誰もが「解禁〜!」て感じな世界が完成されていました。

それにしても姪っ子、よくがんばって歩いたね。

またいつか、夕暮れ時のきれいな街を歩こーネ。

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もう一日は、大阪から(これまた年の離れた)末のいとこが「おねーちゃん、いま東京に一人できてるんだけど…」と連絡をよこしてきて、急きょディナーデート。

約10年ぶりに逢ったいとこは、見事におかっぱ少女からロングヘアの麗しいレディに変身していました。
それも頭の良い大學で青春を謳歌して、一人でインドやら中国やらどこでも旅できる大人になっている。

でもこんな風に、一緒に食事しながら恋の話なんかできるのは、なんかいい。

わたし、妹や弟ほしかったから、嬉しかった。

というわけで、さいごに夏休みきぶん…というより、都会の残暑にやられてヘロヘロになりました(^^;)

Ballet Cat

ソウルの猫種、アビシニアンは別名「バレエ・キャット」というそうな。

「ふふ…ボクのことだね。」(ハイ?)


バレエのトゥ(つま先)のような立ち姿だから、だそうです。

しなやかな手足も、なんとなくそれっぽいですね。

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先日、おなじみ音楽家のMさんと、青山のカフェレストランでお食事。

外のテラスで気持ちいい風のなかアイスティーを片手に「こんな時間はひさしぶ…ぶり…で..」と話しかけるも、さっきからMさん、聴いちゃいない。

じいっと私の肩越しに誰かをみつめている。

「あ、あの〜(また美しい人でもいるのかな?)」と振り返ってみた瞬間。
ブホッ(> <:)///…私のほうがアイスティを吹き出してしまった。

バレエダンサーの首藤康之さんが、後ろのテーブルにいたのだ。

「なんでもっとはやく教えてくれないんですかっ!」→わたし

「え、あの人だれ?」→誰だか知らずに、美しさにみとれていたMさん

…というわけで、美しい姿勢で数人の女性と打ち合わせらしき話をしていた首藤さんは、どの女性よりもキレイでした。

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そのあと、なにかのきっかけから山岸涼子さんのマンガ「舞姫〜テレプシコーラ〜」を全巻読みました。
これ、バレエのマンガです。
山岸さんは「アラベスク」有名ですが、現在連載中のこの作品も、大人気とのこと。じっさい私の知る、バレエ教室に通う子供たちもみんな読んでるそうです。

そんなにおもしろいのなら…と読んでみたのですが、かなりリアルでびっくり。

山岸涼子さんらしく内容も容赦なく過酷で、ちょっとえげつない社会問題なんかも盛り込まれていて、読んでいて辛くなるときも…。
ですが、その手に汗握る展開にはいちど読み出したらとめられず。
バレエのシーンも美しいし、大人から子供まで引き込まれるのも無理はありません。
とくにバレエに関しては(ダンサーを目指すものにとって)勉強になる情報が多く、肉体に関して「へえ…」「なるほど」と勉強になりました。

私も幼いころすこし通っていたので、あの独特の空気を思い出しました。

大人が通うただのレッスンなら楽しい。けど、バレエの世界は10代が勝負なので、子供になるほど先生の言うことまたキビシイ。プロを目指していた子などは、それはもう容赦なく指摘されていた。

私は気楽なレッスンだったので、あのころ感じた緊張感をいろんな場面で思い出すことができて良かったと思ってます。

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つづいて、おなじく山岸涼子さんの「牧神の午後」も読みました。

これは伝説のダンサー、ニジンスキーが自身で振り付け初演した、有名な舞踊です。

これは当時はかなりセンセーショナルな振り付けだったようです。

19世紀の終わりから20世紀初頭は、それはもう今や有名な音楽家、画家、踊り手の才能が結集した時代。

そのニジンスキーについて、以前読んだチャップリンの自伝にいろいろな思い出が書かれていました。

当時の名プロデューサー、「ディアギレフ」とニジンスキーは、いわゆる愛人関係(両者とも男性ですが)でしたが、ニジンスキーは内密に女性と結婚してしまったり、ワガママが過ぎてディアギレフの手に負えなくなって決別します。

まさにその渦中の様子が、チャップリンの自伝にも描かれています。

チャップリンは、そのニジンスキーに「あなたは、ダンサーだ」と賞賛される。

やがてある日、彼の公演を観に行ったチャップリンは、幕間に彼の楽屋へ呼ばれる。

とりわけ何を話すでもなく、「そろそろ客席へ戻ります」と言っても彼は「まだいてくれ」と言ってチャップリンを返そうとしない。

開演のベルもとうに時間がすぎて、ディアギレフが楽屋に怒鳴り込んできて…

と、このようにニジンスキーはじょじょに発狂してゆきます。

そんな彼の舞踊日誌(というか、振りを記録したもの)はかなり緻密で、まるで音楽の楽譜のように踊りが記譜されていたといいます。

そして、その踊りはこの世のものと思えないほど繊細で独創的だったそうな…映像が残っていないのが残念です。

この時代、音楽家はチャイコフスキーからドビュッシー、ラヴェル、ストラビンスキーなどなど、そこにジャン・コクトーが脚本を書いたり、舞台美術がピカソだったり、衣装がココシャネルだったりと、なんとも豪華な舞台芸術の時代だったのですね。

「愛と哀しみのボレロ」のジョルジュ・ドン

これらを読んでたら、またジョルジュ・ドンがみたくなりまして、「愛と哀しみのボレロ」の、ベートーベン7番の場面の華麗な跳躍を、繰り返し観てしまいました。

そして、「ボレロ」のdvd、つぎにシルヴィ・ギエム…

と、感化されやすい私は寝不足になってしまいました。

よるのこだま

おばあちゃんが、また三晩つづけてのハイ状態で不眠がつづいた。

つまり、私も不眠。ちょっと寝ては「ドキッ」として目覚め(呼ばれたり、外に出ようとしているのに気づいたり、延々と話し相手したり)こんかいも少々バテました。

祖母には、7月から「抑肝散」という漢方を服用させていて、こうした症状はやや減っていました。

ところが、このクスリが匂いも味もきついので、飲料に溶かしても、オブラート(ゼリーも)でも、お菓子に混ぜても、吐き出してしまう。

強引に飲ませようとすると、「毒を飲ませようとしている」といった妄想にとらわれ、私たちの差し出す飲み物すべてに手をつけなくなりました。
水分をとらないと、この猛暑で脱水症状になってしまうので、スイカに塩をふって日に3度与えたり、アノ手コノ手で熱中症を回避してますが、いよいよただの「麦茶」ですら警戒して飲もうとしてくれません。

毎朝、毎夕、この苦いクスリを服用させるだけのために、ひっかき傷が絶えないほど(祖母は全力で抵抗する)で、疲れてしまいました。

そこで「そんなに嫌なら、しばらく止めてみよう」と、この約1週間止めてみました。

…その結果、また「夜間せん妄」が激しくなり、この約3日は不眠。
深夜になるとわめき、外へ出ようと家中のドアをこじあけようとする。

そこで昨夜は、なるべく服用を避けていた軽い入眠剤を1/2服用させました。

すると、おばあちゃんはまる1日眠ってしまいました(これはこれで、途中トイレをさせたり、食事をさせたり、目がはなせない)。

そんなわけで、今夜はどうやら私も眠れそうです。

その前に、いま介護で話題の漢方薬『抑肝散』と、夜間せん妄について記しておこうと思います。

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こうなってくると、自分で一番嫌な気持ちになるのは「優しくできないこと」です。

つい手をあげそうになったり、怒鳴ってしまったり、なんのために祖母を介護してるのか(もちろん、祖母らしく生きて最期を迎えて欲しいからなのに)…まるでこちらの都合で祖母を軟禁してるみたいになり、「せっかく長生きしてきたのに、こんなの悲しい」と思ってしまうのです。

我が家のばあい、祖母の不眠は約1年前から時折ありました。
ただ、それがこのように夜間せん妄を伴うひどい症状になってきたのは、ことしの春あたりから。
夜間〜明け方にかけて、祖母がとつじょ目を覚ましては「(誰かが)通信してくる、呼んでいる、外に迎えがやってくる」と言って、私や兄を起こし、玄関をあけるようになりました。

97歳の年寄りが、徹夜で暴れるのです。これでは心臓が消耗するか、なにかの事故で命をおとしてしまいます。

そこで、在宅医療の医師に相談して『抑肝散』を処方されました。

この『抑肝散(ヨッカンサン)』というのは漢方薬です。
近年、認知症の興奮状態、周辺症状をおさえるのに効果があり!ということで介護医療では話題になっていて、「ためしてガッテン」でも紹介されたりしています。(注:他のクスリとの併用によっては副作用も出るので、医師に要相談)

ケミカルなクスリはとても強くて、日中もボオーッと廃人のようになった姿のお年寄りを見かけます。
この「抑肝散」という漢方は、肝の虫を抑えるというか…元々は夜鳴きの止まない小児に服用されてたように、じんわりとした効き目があるし、副作用もあまりない。

うちの祖母はアルツハイマー型ではないのですが、97歳になってさすがに脳が縮小し、人格障害、夜間のせん妄が起こっているようなのです。

さっそく服用させてみました。

数日たって、たしかに祖母も穏やかになった気がしました。

あいかわらず「無線がはいる、呼ばれている」とわめきますが、おさまりが早いというか、不眠も週に1〜2日に減りました。

…それでも、まだ私や兄には過酷です。

まず、クスリを飲ませるのに一苦労するし、夜0時を過ぎると「こんやは寝てくれるだろうか」と不安で胃がきりきりします。

ドアですが、さっそく建具屋さんに来て貰って、玄関と勝手口に補助鍵をつけてもらいました。
さて、この服用をつふけてもらうには、どうしたものか…

これは、今後の課題です。

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そもそも、なぜ認知症の多くの人が、夜間に外へ出たがるのでしょうか。

いちど、こんなことがありました。

祖母が、「お前を起こしたいんじゃないんだよ。私に聞こえる声を、お前にも聴いて欲しいんだよ。ほら、聞こえるだろう?」と言います。

私がうっかりウトウトしてしまったところ、祖母は私たちを起こすまいと、こっそり外に出てしまいました。

そして明け方の4時ごろ、外から私の名を呼ぶ声がしました。

「夢?…いや、おばーちゃんが呼んでる、しまった寝てしまった!」

慌てて外へ出ると、駐車場で、祖母がニコニコしながら立っていました。

あれは不思議な光景です。

祖母は明け方の空を眺め、身体を揺らしながら、それはもう幸せそうに、美しい笑顔で佇んでいました。

…あれを見たら、もう怒れませんでした。

以来、私も兄も、たまに一緒に10分ほど外に出てあげるようにしました。

いちど外へでたら、気が済んで中へ入るのです。

「べつに外へでたって、本人がそうしたいならいいじゃないか?」

何度もそう思いましたが、我が家の前は車道だし、段差もたくさんあります。

そんな心配さえなければ…そう思うばかりです。

夜のとばりに、いったい誰が、いったい何者が、おばあちゃんを呼ぶのでしょう。
いっさいの世のしがらみから解き放たれ赤子のように純真な面持ちのお年寄りたちを、いったい何が呼ぶのでしょう。

『おいでなさい、おいでなさい、アナタを待ってますよ、もう怖がらずに、泣かずに、こちらへおいでなさい…』

そう、きっと何かが呼んでいるとしか思えません。

フル回転してきた脳の、あちこちの回路がとぎれて、なにを訴えても、私たちから疎まれる。わずらわしいと怒りを向けられる。

でも、もうすこしで、そこに自分がいて許される世界が待っている。

「おうちへ帰ろうね。」

このセリフは、徘徊するお年寄りがとても安心する言葉だそうです。

わたしもこの時、言いました。

だって、おばあちゃんは何も私たちを苦しめたいわけじゃないから。

わたしはおばあちゃん子なので、半分母親のような存在です。

まあ、そう頭では理解していても、行動するのは、苦行僧のようにむずかしい。介護は、本当に根気のいることだと思います。

施設を信頼していないわけではありません。でもたとえプロでも、ガマンのならないことの多い仕事だそうです。だからつい手をあげてしまうような事件が絶えません。

預けることを考えるよりも、なるべく家族として、人として(自分たちもやがて年をとる)、自然なこととして受け容れていきたい。
それが我が家の考え、というだけのことなのだけど…

だって、あの笑顔をみて「愛しい」と思えるのは、やっぱり愛情だからだと…しみじみ思うのです。

8がつ15にち

きょうもとっても暑い。

そしてきょうは、終戦記念日。

朝食後、祖母に新聞を見せると「おじいさん、ありがとうございます、ありがとうございます」と空(くう)にむかって呼びかけ続けていました。

あまりに辛かった思い出は、胸の一番奥に封印して、顔をあげて、戦後の復興に希望と青春のすべてをかけて生きてきたお年寄りたち。

日本の夏、8月15日は、「終戦の夏」でもあること。
私は感じつづけていきたいと思います。

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きのうは、高校時代からの親友A子が、二人のやんちゃ坊主を連れて我が家に遊びにきてくれました。

そこで、私の姪っこ&甥っこも呼んで、カレーパーティしました。

二人とも、我が家と友人のあいだでも「すごいカッコイイ」と評判で、3歳くらいの頃からお兄ちゃんは色白の甘いマスク、弟は精悍でシャイなマスクで、ほんとにかわいかった。

男の子二人は、カレーをおかわりしてくれました。

途中、一人の子が「もういっぱい」とやめました。

そして私に、「おいしくないんじゃないよ。お腹いっぱいなんだ。またあとで食べるからね」と言いました。

わたしはびっくり。8歳の少年の心遣いに感動してしまった…

思えばA子も気だてのいい明るい少女でした。

活発で、よく帰りのバスの中で一緒にしゃべった。

私がコクリと眠くなると「肩にのせな」と私の頭をのせ、自分はカバンから編み物をだしてせっせと編んでいた。

あのA子の子供だもんね。いい子にきまってるんだ。

うちの子供たちと4人で合流すると、はじめはぎこちなかったけど、やがてアニメやゲームの話で大盛り上がり。

ユキノはお姉ちゃんらしく、時に気をつかい、時に弟をつねりながら(笑)、明るい笑顔で場を盛り上げる。
あの子たちの社交性には、頭がさがりました。

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以前は子供はうるさいし疲れると思い込んでいたのですが、触れあってみればそうでもない。
悲しいときは悲しい、楽しくなると全身で楽しい!と表現する姿は、実にいいものだと思うのです。
それに、子供はソウルと一緒で、とても「空気を読み」ます。
「あ〜この子は口がヘタだな、でも優しいんだな、いっぽうこの子は強いけど、いろんなこと考えて、すごい大人に気を遣ってるな、」とか、駆け引きのない子供には、いろんなこと考えさせられます。

まあ、私はたいてい、ナメられます。

以前ピアノの教師をしていたときも、子供たちはお母さんの前ではキチンとして、お母さんが教室を出ると、「せんせ〜い、ぎゃあ〜!」といって私によじ登りました。

山かジャングルジムとでも思っているのでしょう。

怒ったって、足下をみられていますね。

でも…音楽をきかせると、子供はじいっと耳を傾け、やがて「じぶんもひける!」なんて負けん気だしてきます。

もちろん、それが直接、ピアノを弾く行為に向かない子だっています。

それでもいいんですね。音楽がなにか「きれいで、たのしくなったり悲しくなったり、からだがうごきだすような」親しみをかんじさせる。

大人になれば、自分なりの音楽との付き合い方をみつけるはずです。

習わせたいと親が思うのは、楽譜が読めたり、技術が身につけば、なにかの役にたつかもしれないと思うからです。

ときどき、ギター仲間の人に楽譜のよみかた、楽典を教えてくれと言われます。

大人はたいてい、短調と長調の違いを理論的に知りたがり、「わかるけど、わからん」と言います。

私も頭が固いほうなので、そのスッキリしない気持ち、すごくわかります。

ところが子供は、「かなしいカンジ」「たのしいカンジ」で、ソレをギモンに思いません。

気づけば、3歳くらいでもト音もヘ音も調号も拍子も、自分でサラサラっと書いて作曲したりします。

子供って、偉大です。そして誰もが、かつて子供だった。

学ぶことがたくさんあります。

ただ、昨夜はもうヘロヘロに疲れました。

vol de nuit  サン=テグジュペリによせて

『夜間飛行』と『人間の土地』。

とても素晴らしくて、読み終えて「なぜもっと早く読まなかったのだろう」と思いました。

「夜間飛行」「人間の土地」(カバー:宮崎駿)

サン=テグジュペリといえば、『星の王子さま』が有名です。

ですが、もしも大人のあなたが『星の王子さま』を好きなら、この2書を読まないのはあまりにもったいない….と、言われたことがあります。

「愛は向き合うことではない、同じ方向をみつめることだ」など、誰しも耳にしたことのある名言の数々が「人間の土地」に詰まっていました。

空を飛ぶことが大冒険だった時代に、郵便航空の飛行士として空を舞った、サン=テグジュペリ。

これらの書はその体験に基づく物語です。

「星の王子さま」とおなじに、彼ら飛行士もまた「孤独」で、それは人間の孤独です。

されど空を愛し、空から眺める大地を愛し、人と人の繋がり、大地と人の繋がり、「義務、責任を果たすこと」に幸福を見出し、命を賭けて勇敢に空を飛ぶ。
堀内大學の訳文は、少々若い人には読み辛いかもしれません。

でもとても美しく、原文の魅力…サン=テグジュペリの詩的な世界が、ちゃんと伝わってきたので、読んで良かったと思いました。

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『夜間飛行』は、ゲランの名香の名前にもなっています。

今ほど安全でない時代に、命がけで飛行業務をこなす仲間。

“この生には解決策などないんだ。あるのはただ、前進してゆく力だけだ。その力を創造しなければならない”

たった一夜の話だけど、星降る夜空、アンデス山脈での嵐、飛行士フェビアンが方位を見失って彷徨い、地上では、支配人が思いめぐらせる情景など、…とてもリアルであるゆえに、なにか「遠い夢」を見続けているような気分になりました。

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『人間の土地』も、ほんとに良かったです。

読んでみて、宮崎駿さんなど世界中の作家たちに与えた影響の大きさを感じました。

職業の偉大さとは、おそらく、なによりもまず、人間たちを結び合わせることだ。”

ほんとうですね。なにかの作業は、なにかのための労働であるなら、なにかに反射され、その労働をとおして人と社会が繋がりをもつのです。

“真の贅沢はひとつだけしかない。それは人間関係という贅沢だ

実際にリビア砂漠に不時着し、3日後に奇跡の生還を果たしたエピソードは「星の王子さま」の原体験です。

彼と同僚の二人は、リビア砂漠の激しい乾燥が身体中の水分を蒸発させるなか、機体についた朝露をかき集め、飲んでは嘔吐し、口も食道もはりつき、お互いに「幻覚」を見続ける。

それでも前進するのは、ただひとつ「自分たちの信号がとぎれ、悲しみにくれ、探し続けて居るであろう仲間、家族=遭難者のため」。その者たちに「生きている、俺たちは生きている!」と「救援」してやりたい気持ちだけが、彼らの足を動かすのです。

“我慢しろ…ぼくらが駆けつけてやる!ぼくらのほうから駆けつけてやる! ぼくらこそは救援隊だ!”

彼らの中で繰り返し浮かぶ光景は、「朝のミルクとパン」「真っ白いシーツ」「我が家の窓の灯火」…飛行のあとはこれら日常のささいな光景が、たまらない幸福となる。

リビア砂漠の極限の中で、カバンの中から一個みつかったオレンジを、きっちり半分に割り、わずかな水分を分け合う姿。

“水!水よ!そなたは味も色も風味もない、そなたを定義はできない、人はただそなたを知らずそなたを味わう。

そなたは生命に必要なのではない、そなたが生命なのだ!”

水や土、それに含まれる成分である自然を粗末することは、すなわち、己を粗末にすること。人間…心臓というもっとも高性能なエンジンをもつ神秘の肉体を。

農夫が土を耕すのは、鍬や鋤のためではない。

決して命を軽んじるわけではない、けれど「ぼくは死を軽んじることを大層なことと思わない、死が責任の観念に深く根ざしていないかぎり」と言い切っています。

サン=テグジュペリの「職業」としての飛行士体験は、まだエンジンが「発動機」の時代に、たいへんな勇気のいる冒険です。

機体が破損し、遭難しては、さいご「己の心臓」というエンジンに「動け、もう一度動け」と呼びかけながら前進する。

アンデス山脈の航路、「空の裂け目」を発見しては奇跡の生還を果たす、それを繰り返しながら同僚は、また旅立つ。

彼が帰ってくるのは、いつもきまってふたたびまた出発するがためだった。

激しい「責務」を負うと同時に、「見果てぬ夢」を追い続ける。

…そんな男性たちの姿に、とても胸がしめつけられました。

単なる航空文学の先駆といってはもったいない。

サン=テグジュペリならではの「哲学」は、行動した人間ならではの冒険なのでたいへんリアルです。
また空からの町並みや、山脈で、また砂漠の中で思い出す「我が家」の光景などは、童話のように美しくて感動しました。

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これらの飛行士人生を通して生み出された『南方郵便機』『夜間飛行』『人間の土地』そして『闘う操縦士』を経て『星の王子さま』が生まれるのですが、そう思って再びこの童話を読むと、なんと味わい深いことでしょう。

『星の王子さま』の冒頭、主人公がまだ子供のころ「ゾウをのみこんだ、ボア(うわばみ)の絵」をかくと、大人たちはきまって「これは何だ?ここは何だ?これは帽子の絵か?」と、やたら質問をして否定する。

やがて大人になった主人公は、飛行士となってサハラ砂漠に不時着する。

そこで出会った小さな王子に、愛らしい声で「ヒツジの絵を描いてよ」とせがまれる。

いろいろ描くも、王子は満足しない。

そこで、四角い箱を描いて「ヒツジはこの中だ」と言うと、王子は「ボクが欲しかったヒツジはこれだよ!」と喜ぶ。

そしてその王子は、地球にあるたくさんのバラをみて、自分の星のたった1本のバラが、ただのちっぽけなバラだったことを知って落胆する。

それでもそのバラが愛しく思い出されて仕方ないのは、彼女が「バラだから」ではなく、自分が「毎日水をやり、風をよけ、語りかけたバラだったから」だったことに気づくのです。

サン=テグジュペリの世界の魅力は「地球のあちこちに隠された井戸」みたいに果てしなく、人生がサハラ砂漠のように感じたときには、オアシスのように感性を潤してくれるでしょう。
『闘う操縦士』にはこんな一文があります。


戦争は冒険ではない。戦争は病気だ。チフスのように。

そして、

わたしはいつも、傍観者が大嫌いだった。参加しないとしたら、わたしはいったい何者だろう?存在するためには参加することが必要だ。

彼は、1944年7月31日、コートダジュール沖でドイツ軍の戦闘機に撃墜され、その飛行する生涯を閉じました。

はつぼん

土曜日は、和尚さまが父の初盆供養をしてくださいました。

姉の家族とみんなで食事して、午後は子供たちとベイブレードで白熱。
子供はエネルギータンクが満タン!…大人はヘトヘト。
でもわたし、じつは子供と遊ぶの好きです。
11歳の女の子のほうなんて、話も合うし一緒に出掛けて退屈しません。
それに夏休みは、やっぱり子供にとって楽しい40日であってほしいです。

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おやつにカットした桃のネットをソウルにかぶせたら、客人、家人にたいへんウケました。

ウケたといえば…兄がカレーを食べていたときのこと。
ソウルが「くれ」とうるさいので、兄はルーのついたお肉を1コあげました。
じいー…っと茶色いお肉をみつめたソウル、やがて砂をかくように、お肉をかきはじめました。

「ソウル…お前はカレーとウ○コの違いがわからんのか!」

猫なのに、匂いで判断できないのか〜!?
…と、肩をゆすって訊ねたい気持ちでした。

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日曜はエンジニアのTさんが遊びにきてくださいました。

んで、みんなでタコス&ピザの夕食。

昨年イタリアを旅したTさんのお話をきいてたら、無性にイタリアへ行きたくなりました。

そんなわけで、今週末はあわただしくも笑顔いっぱいの週末でした。

久しぶりの我が家に帰った父の魂。ゆっくりしていってほしいです。

シエスタ

タイトル、『まどろみのソウル。』

ポートレイトは、フレーミングできまる。

というのも、じっさいは…

ぶざまなかっこ。
(この足は???)
壁には、カメラマンの影。
(左手にはアイスキャンデー)

「お昼寝ばっかりして…このやろ!」

「…う。」

注)首しめてるんじゃありません。首をかいてやってます。

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そろそろお盆やすみ。

先週末は、初盆の精霊棚を飾り付けしたり。
ギターの発表会に参加したり。
あと…なぜか、ジムの大学生の子たちとバスケット(半強制でやむなく参加)。

あっちこっち駆け回ってました。

ギターは、いよいよバッハのBWV997を披露。
自宅で弾くときの、1/3ほどの出来でした。
「本番の壁」は高い…人前で弾くクセをつけようと思いました。

ところで、打ち上げで初めてノンアルコールビールをいただきました。

私は、お酒が飲めません。
いつもウーロン茶なのですが、今回は「ほんとにビールみたい!」と酔っぱらった気分になりました。

でもみなさん曰く、「それはお酒の味を知らないから、そう思うのだ」そうです。

その通りですね。

でも、夏気分に酔えました☆

Le Petit Prince

本読んでると、かならずソウルが飛び乗ってきます。

「ぼくもよむ」

はじめ本の上にちょいちょい手を出し、わたしの顔をのぞき込んでフガフガとと鼻息かいで「生きてるか?」確認すると、わたしの投げ出す足に絡まって、じゃれたり、もたれて毛繕いして、さいごは足の甲の上にアゴのっけて寝ます。

ときおり、つま先でソウルをむにっ!と挟んだり、撫でたり(フワフワ、もこもこ、あったかくて気持ちいい)、ソウルも嫌がらずに寝ています。

たま〜にそのまま寝てしまい、寝返りうってソウルの頭に「かかと落とし」食らわせてしまい、「ンぎゃっ!」と噛まれることがあります。

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いま、サン・テグジュペリの『人間の土地』『夜間飛行』を読み始めています。

先日、大人になって久しぶりに「星の王子様」を読んだら、なんかはまってしまいました。

物語の挿絵はすべてサン・テグジュペリ自身の描いたものですが、今みてもなんとも可愛らしい。

小さな王子のかわいらしい「声」…耳元で聞こえてきそうです。

それに、王子が愛し、育て、幻滅、離別し、やがて死ぬまで思慕する「赤いバラ」…たった4つのトゲで誰をも寄せ付けない、あどけなくて美しい貴婦人のようなバラが目に浮かびます。

絵画センスもよく物語も象徴的で美しい、これは詩人か画家だろう…とはじめ読んだときは思ったけど、サン・テグジュペリの本職は「飛行士」なんですね。

飛行機が好きで、好きで、自ら志願し軍用機の操縦士になったほどの「ヒコーキ野郎」。

その体験談を元に、著作が生まれているのだから面白いです。

いま読んでる作品も、とっても面白いです。

わたしも、いちどでいいからソウルと夜空を飛んでみたいな〜。

こいつ、黒目全開でつり上げて、耳アンテナぴんっ!て立てて、興奮するだろーな。

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