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介護 Archive

よるのこだま

おばあちゃんが、また三晩つづけてのハイ状態で不眠がつづいた。

つまり、私も不眠。ちょっと寝ては「ドキッ」として目覚め(呼ばれたり、外に出ようとしているのに気づいたり、延々と話し相手したり)こんかいも少々バテました。

祖母には、7月から「抑肝散」という漢方を服用させていて、こうした症状はやや減っていました。

ところが、このクスリが匂いも味もきついので、飲料に溶かしても、オブラート(ゼリーも)でも、お菓子に混ぜても、吐き出してしまう。

強引に飲ませようとすると、「毒を飲ませようとしている」といった妄想にとらわれ、私たちの差し出す飲み物すべてに手をつけなくなりました。
水分をとらないと、この猛暑で脱水症状になってしまうので、スイカに塩をふって日に3度与えたり、アノ手コノ手で熱中症を回避してますが、いよいよただの「麦茶」ですら警戒して飲もうとしてくれません。

毎朝、毎夕、この苦いクスリを服用させるだけのために、ひっかき傷が絶えないほど(祖母は全力で抵抗する)で、疲れてしまいました。

そこで「そんなに嫌なら、しばらく止めてみよう」と、この約1週間止めてみました。

…その結果、また「夜間せん妄」が激しくなり、この約3日は不眠。
深夜になるとわめき、外へ出ようと家中のドアをこじあけようとする。

そこで昨夜は、なるべく服用を避けていた軽い入眠剤を1/2服用させました。

すると、おばあちゃんはまる1日眠ってしまいました(これはこれで、途中トイレをさせたり、食事をさせたり、目がはなせない)。

そんなわけで、今夜はどうやら私も眠れそうです。

その前に、いま介護で話題の漢方薬『抑肝散』と、夜間せん妄について記しておこうと思います。

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こうなってくると、自分で一番嫌な気持ちになるのは「優しくできないこと」です。

つい手をあげそうになったり、怒鳴ってしまったり、なんのために祖母を介護してるのか(もちろん、祖母らしく生きて最期を迎えて欲しいからなのに)…まるでこちらの都合で祖母を軟禁してるみたいになり、「せっかく長生きしてきたのに、こんなの悲しい」と思ってしまうのです。

我が家のばあい、祖母の不眠は約1年前から時折ありました。
ただ、それがこのように夜間せん妄を伴うひどい症状になってきたのは、ことしの春あたりから。
夜間〜明け方にかけて、祖母がとつじょ目を覚ましては「(誰かが)通信してくる、呼んでいる、外に迎えがやってくる」と言って、私や兄を起こし、玄関をあけるようになりました。

97歳の年寄りが、徹夜で暴れるのです。これでは心臓が消耗するか、なにかの事故で命をおとしてしまいます。

そこで、在宅医療の医師に相談して『抑肝散』を処方されました。

この『抑肝散(ヨッカンサン)』というのは漢方薬です。
近年、認知症の興奮状態、周辺症状をおさえるのに効果があり!ということで介護医療では話題になっていて、「ためしてガッテン」でも紹介されたりしています。(注:他のクスリとの併用によっては副作用も出るので、医師に要相談)

ケミカルなクスリはとても強くて、日中もボオーッと廃人のようになった姿のお年寄りを見かけます。
この「抑肝散」という漢方は、肝の虫を抑えるというか…元々は夜鳴きの止まない小児に服用されてたように、じんわりとした効き目があるし、副作用もあまりない。

うちの祖母はアルツハイマー型ではないのですが、97歳になってさすがに脳が縮小し、人格障害、夜間のせん妄が起こっているようなのです。

さっそく服用させてみました。

数日たって、たしかに祖母も穏やかになった気がしました。

あいかわらず「無線がはいる、呼ばれている」とわめきますが、おさまりが早いというか、不眠も週に1〜2日に減りました。

…それでも、まだ私や兄には過酷です。

まず、クスリを飲ませるのに一苦労するし、夜0時を過ぎると「こんやは寝てくれるだろうか」と不安で胃がきりきりします。

ドアですが、さっそく建具屋さんに来て貰って、玄関と勝手口に補助鍵をつけてもらいました。
さて、この服用をつふけてもらうには、どうしたものか…

これは、今後の課題です。

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そもそも、なぜ認知症の多くの人が、夜間に外へ出たがるのでしょうか。

いちど、こんなことがありました。

祖母が、「お前を起こしたいんじゃないんだよ。私に聞こえる声を、お前にも聴いて欲しいんだよ。ほら、聞こえるだろう?」と言います。

私がうっかりウトウトしてしまったところ、祖母は私たちを起こすまいと、こっそり外に出てしまいました。

そして明け方の4時ごろ、外から私の名を呼ぶ声がしました。

「夢?…いや、おばーちゃんが呼んでる、しまった寝てしまった!」

慌てて外へ出ると、駐車場で、祖母がニコニコしながら立っていました。

あれは不思議な光景です。

祖母は明け方の空を眺め、身体を揺らしながら、それはもう幸せそうに、美しい笑顔で佇んでいました。

…あれを見たら、もう怒れませんでした。

以来、私も兄も、たまに一緒に10分ほど外に出てあげるようにしました。

いちど外へでたら、気が済んで中へ入るのです。

「べつに外へでたって、本人がそうしたいならいいじゃないか?」

何度もそう思いましたが、我が家の前は車道だし、段差もたくさんあります。

そんな心配さえなければ…そう思うばかりです。

夜のとばりに、いったい誰が、いったい何者が、おばあちゃんを呼ぶのでしょう。
いっさいの世のしがらみから解き放たれ赤子のように純真な面持ちのお年寄りたちを、いったい何が呼ぶのでしょう。

『おいでなさい、おいでなさい、アナタを待ってますよ、もう怖がらずに、泣かずに、こちらへおいでなさい…』

そう、きっと何かが呼んでいるとしか思えません。

フル回転してきた脳の、あちこちの回路がとぎれて、なにを訴えても、私たちから疎まれる。わずらわしいと怒りを向けられる。

でも、もうすこしで、そこに自分がいて許される世界が待っている。

「おうちへ帰ろうね。」

このセリフは、徘徊するお年寄りがとても安心する言葉だそうです。

わたしもこの時、言いました。

だって、おばあちゃんは何も私たちを苦しめたいわけじゃないから。

わたしはおばあちゃん子なので、半分母親のような存在です。

まあ、そう頭では理解していても、行動するのは、苦行僧のようにむずかしい。介護は、本当に根気のいることだと思います。

施設を信頼していないわけではありません。でもたとえプロでも、ガマンのならないことの多い仕事だそうです。だからつい手をあげてしまうような事件が絶えません。

預けることを考えるよりも、なるべく家族として、人として(自分たちもやがて年をとる)、自然なこととして受け容れていきたい。
それが我が家の考え、というだけのことなのだけど…

だって、あの笑顔をみて「愛しい」と思えるのは、やっぱり愛情だからだと…しみじみ思うのです。

いろんなおもい

祖母の『夜間せん妄(もう)』がひどい。
祖母も、そして私も、もうまる3日ちかく、ほぼ寝ていない。
毎夜ワールドカップを観たりブログ更新して紛らしてたけど、今回はちょっと参ってます。
私でさえ疲れてるのに、97歳の祖母は体力がもつのだろうか。
これを記している今も、朝の5時です。
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夜間に私を起こしてしゃべり続ける → なだめても収まらないのでケンカになる → 疲れて寝る
このパターンはずっと前からあり、この春先からは進行した感があった。
1年ほど前から、私がギターなど練習しつつ、4時頃まで起きて注意する(2月までは朝、部屋へ戻っていた)、兄たちが7時ころ起きて、朝食を支度して出勤、私は9時に祖母をデイサービスに見送りして活動開始、という日々が定着していた。

けど今回は、祖母はほとんど寝ていない。
なんど寝かしつけても、兄を起こしたり、私の部屋の前でわめき続けている。

「どうして寝ないの?!」
「….わからない。」
祖母自身、混乱して辛いのだ。だから、叱ったり怒ってもはじまらない。
こんなとき穏やかになだめるのは、下の兄が得意だ。
私は祖母に近すぎてうまくいかない。
さっきは兄が階下に降りてきて、話し相手してくれた。

私はその間にしばらく調べて、祖母の体力が心配なので、ザジデンという花粉症アレルギーのクスリを1/2服用させた。
このクスリは祖母の風邪の予防に、医師から処方されていた。
けど眠気が起こり、起きたとき足下がふらついて危ないので「年寄りにはどうか?」と思い、避けていた。
明日は私も休み。トイレなど注意できる。

どうか眠ってくれますように。

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いつも、あまりこういうことは書きたくない。
それは、身内のなんともいえない複雑な感情です。
祖母は90歳を越えてもずっとしっかりしていた。今も人格は保たれている。
ようやく痴呆が出たからといって、遅いくらいだと思っている。
兄も私も、「おばあちゃんは、よくここまで頑張った」という気持ちが強いのです。

でもこんなとき、似たようなブログや吐露を読んでいるとやはり救われた気持ちになるので、記すことも悪くないと思い始めました。

誰だって、もし親がそうなったら(以前の姿を思えば)同じに感じるだろうと思います。

よく「なぜホームに入所させないのか」と訊ねられるけど、それは人それぞれの思惑だろうと思います。
うちの場合は、(とくに私は)祖母ッコだし、兄妹3人いるので、負担を分担できる。
兄たちも気丈なので、「孫が3人もいるんだから、おばあちゃんは最後まで家で」と思っている。

これが一人だったりしたら、ツライだろうと思います。

もうひとつ理由は、祖母が戦争体験世代だということです。
なんとなく、….戦争を乗り越えてここまできた人だから、最後は安堵させてあげたい気分なのです。
祖母は90歳を越えた頃から、戦争の話を口にするようになりました。
それまでは戦死した祖父のことを滅多に語らず、とかく現実主義で、前向きで朗らかでした。
でも認知症が出て、せん妄が始まってからは、口にするのはほとんどが祖父のこと、そして戦争の記憶でした。
感情失禁(泣いたり怒ったりが、止められなくなる症状)が起こると、子供のように戦争を思い出して泣き出します。
本人がコントロールできずに語る記憶は、もらい泣きしてしまうような内容ばかりです。
これだけ辛い記憶を胸にしまって、気丈に生きていたのだ気づかされます。

話は逸れますが…この時代の方達にとって、やはり一番のトラウマは戦争であり、戦争がどれほど深く、深く、終戦後も人を苦しめ続けるのか。
こんなことは一人に起こっても悲しいのに、数千、数万の人に起こるなんて、最悪だと思います。

そろそろ祖母が休みました。

インターネットなどのお陰でいろいろ読んでいると、こうしたときに家族が単なる「ボケ」とみて怒ったり、疲労困ぱいしたり、暴力をふるってしまったりすることがある。
その前に、それが「脳血管」(小さな血管の詰まり)によるものなのか、一時的な意識障害なのか、アルツハイマーなのか、などなど…症状によってずいぶん対処があるということを、覚えておくとずいぶん冷静になれます。

大事なのは、ちょっと注意していれば、酷くなってしまう前にいろんな方法があることで…人は「わからないから怖くなる」ということも多いので、心が準備していれば、多少は寛容になれる。
ケアマネージャーさんに相談したり、そうすることで、酷くなることを防ぐことができると思います。

今回は、認知症外来、脳神経科に相談してみようと思います。

もし同じような体験をされる方に、落ち着いた、冷静な対処ができるよう、我が家も実践してみたいと思います。

これは私たちの未来でもあることを、心に留めて…。

さよならのまえに

GWも終わりましたが、とつぜん夏日のような気温の上昇。
私たちのような若いモンでも身体が少々追いつかない、キツい季候です。
お年寄りにはかなり堪えるはずです。

この時期いつも、往年の俳優さんが肺炎で亡くなっている報道を目にします。

名俳優の佐藤慶さん。
明治・大正・昭和・平成を生き抜いた大女優の北林谷栄さん。
映画や舞台をメインに活躍した役者さんで、スクリーンの向こうの異世界にドキドキした頃の映画にたくさん出ておられた人。

どちらも「ええ…さみしい」と思いました。

俳優の佐藤慶さん、私とても好きでした。
幼い頃みた「子連れ狼」はシーズン3くらいでしたが、佐藤慶さんの「柳生烈堂」がこわくて。
でも他の映画やドラマでは、ニヒルだったり、優しそうだったり。
滅多に笑わないので、画面がピりッと緊張感を感じ、知的で、大人の男性の色香がある俳優さんという印象でした。

仕方ないことなのでしょうが、いまの役者さんはドラマもCMもバラエティでもお見かけするので、俳優・女優としての「謎めき」とか「色気」を感じないので、親しみはあるけど、ドキドキするオーラが(個人的に)ほとんど感じられません。

だから、佐藤慶さんや北林さんのような役者さんがどんどん逝ってしまわれることに、さみしさを感じます。

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話は戻って。
我が家もオバーチャンにはかなり注意していますが、やはり先週、風邪をひいていました。
年寄りの風邪は、すぐ肺炎に変化します。
咳に痰が絡んでいるので、まだ微熱のうちに、すぐ往診の先生を呼んで抗生物質を処方していただきました。

おかげで先週末には回復して、連休には一緒に「銀ブラ散歩」に連れていくことができました(^^)

クスリというのは、医者は「次回までのリスク回避」でとかく大目に出します。
利尿剤などは、言われたままに飲ませては、(老体にとって)体力の消耗で、かえってたいへんなことになります。

今回、祖母も臓機能が落ちて足がむくんだのですが、医者は次回までのぶん大量の利尿剤を処方しました。
「これ毎日ですか?」
電話をかけると、看護士は「とかく言われたとおりに飲んでください」と言う。
けれど、年寄り(それも96歳)になると何度もトイレに起きあがるのは相当しんどいということを、介護の経験のない人には理解してもらえない。
それを訴えても始まらない。
腎臓を痛めているならわかるけど、トイレも正常なのに、ちょっとむくんだぐらいで2週間分も飲まされてはダウンしてしまう。

父のときに学んだので、今回もそのまま与えず、朝1回、半分の量から試しました。

この夏日で汗もかくので、まず塩分を減らし、なるべく余分に水をのませないようにしました。
静脈や足のむくみがとれたので、半錠も止めました。
すると3日後、検査結果の電話で「心不全も肺の炎症もありませんでした。利尿剤は今日から止めて下さい」という。

医師の指示を軽んじているわけではありません。
それは危険な自己判断です。
昔は、風邪薬も多くて3〜5日分、足りなくなったらまた診察してもらい、余計なクスリはもらえませんでした。
でも現代の医療状況から考えると、お医者さまは忙しくて一杯一杯。
かかる側も学んで、医者には食らいつくように現状を細かく伝え、クスリは何の作用に飲ませるのかを確かめ、肝心なクスリはちゃんと医者の指示どうり飲ませ、「念のため」的なクスリは、余計に飲ませないようにして、自分の身体を守らなければならないと思います。

それが、医師側のリスク回避にも繋がるはずと思います。

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たいてい大病なく長生きされたお年寄りの最期は「老衰」。
この「老衰」は、よく聴けば体調をくずして肺が炎症おこしたり(肺炎)、心不全になったりすることです。
だいたいが100年ちかく臓器が動き続けているのですから、クスリや手術で持ちこたえるものではありません。
自然なことで、仕方のないことです。
かといって、「もうしゃーないじゃん」と辛い症状を放ってはおけないですよね?
お迎えがくるときはちゃんと来ますから、それまでは諦めずに、家族としては症状の改善に努めてあげたいと思います。

ねむりひめ

前の日、明け方ベッドへ入ってもなかなか眠れなかった。

あさ、祖母をデイサービスに見送ったのち、父と検査入院のため病院へ。

祖母は何か感づいていて、何度も父がどこへ行くのか訊ね、デイへ行くのをむずがる。

10時。父と病院へ到着。病棟は、窓際で陽当たり良し。

肺をみる気管支鏡検査は、夕方になるとのこと。

12時。今日は仕事は入れてなかったものの、一つ自分の契約ごとがあるため、3時までに戻る約束で都内へ向かう。

一時間後、着いたところで、父から携帯電話が。
予定が早まって検査前の点滴が始まるとのこと。
契約を途中で切り上げ、即病院へ戻る。

その途中、祖母のデイサービスから電話が。
「熱が37.5°あって、咳がひどいので帰宅させたほうがよいか」との相談。
今日は夕方まで自宅は無人…4時半までそちらで寝かせてもらうようお願いした。
放っておくと肺炎になってしまうので、かかりつけのお医者さんに、5時過ぎに往診を手配した。

「どうして重なるんだろう」そんなこと思いながら病院へ戻る。

今回の父の検査は、なかば命がけの検査だった。もともと肺気腫で体力がないため、家族の付き添いが条件だった。

その検査が3時すぎに始り、30分後におわる。

医師は「ひどい咳で、ぜんぶは診れなかった。検査結果がどちらにせよ、だいたい肺気腫が最悪のレベルにあるので、今後は風邪などひかぬようそちらを注意しながら見守るしかない」とのこと。

私は、結果が出たらセカンドオピニオンを考えていた。
けど、この検査を引き受けてくださった先生に感謝した。

父は思ったより元気で、お腹が空いた、という。

4時。迷ったすえに、仕事先の兄に連絡してバトンタッチしてもらい、私は自宅で祖母を迎えることに。

祖母は、咳がひどかった。すぐに往診の先生も到着して、咳止めや、抗生物質を処方してくださった。

年寄りの風邪は、すぐに対処しなければ肺炎で命取りになる。
熱でもうろうとして、一人でトイレに立ったときに転んで骨折したりする。
なので、こうなっては祖母のほうが目が離せない。

すぐ処方箋を近所の薬局に持っていき、クスリをいただいた。
祖母はわずかだけど白粥を食して、クスリを飲んだら、小一時間ほどでスーッと寝息をたてはじめた。

ここで7時。もう病院へは行けない。心配になって兄に電話をすると、父のほうは麻酔もとれて食欲もあって安心とのこと。

明日のあさ、兄と迎えにいくことに。

それまでに、今晩、祖母の熱が山を越えてくれることを願う。

今日はソウルを連れて祖母の部屋に泊まり込もうと思い、自分の部屋へ帰る。

帰り道…さっきの父の医師の言葉を思い出す。

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夜は兄と交代して、ソウルにごはんやって、ソウルがじゃれてくるのでお腹の上にのせて遊んでいたら、そのままフウッと眠ってしまった。

こんな日は、わけのわかならい夢を連続でみる。

さいごは夢の中で、おばあちゃんにクスリをやり忘れて大変なことになってしまい、眠ったことを後悔してたところで、目が覚めた。

ソウルがお腹でぬくぬくして寝ている。

時計は3時。兄は私を気づかって起こさずに、祖母の傍で看てくれていた。

クスリもやってくれていた。兄は二人共にやさしいのだ。

朝、父から電話がはいる。

不便なことがあってナースコールをしても看護士がきてくれないので、早めに来て欲しいという。

祖母の熱がだいぶおさまったので、さっそく兄と車に乗って迎えに出る。

病棟へ着くと、ナースステーションはナースコールが鳴っても無視されていた。

人手不足は当たり前の今、たいていの病院で、看護士はナースコールを無視するのが当たり前になっている。

私も病院でアルバイトしたことがあるので、やむを得ないのはよくわかっている。

私は父を慌てて車いすに乗せ、トイレへ。

看護士さんが「やりますから、勝手にうごかさないでください」という。

「1時間前からガマンして、汚してしまって、私のケータイに連絡がきたんです。動けないのに、これじゃ入院させてる意味がない!早いけど連れて帰ります。」

ナースステーションの中で声を荒げてしまって、自分で後悔した。

こうなることは解っていた。だから個室を頼んだのに断られて、ポータブルも完全看護だから入られない、と言われ…病院のせいじゃないとかわってる。
でも、身体が病んでる人の、せめてプライドや自尊心は大事にしてほしいのだ。

看護士さんは謝ってくださった。でも、看護士さんだってこうしたいわけじゃない、ということはよくわかっている。余裕があれば、とても優しい人たちなのだ。

こうした現状にならないよう、たとえベストでなくても、家で看るのが一番だと、今回も思った。

昼。今日はいい陽射し。

祖母は熱がおさまりスヤスヤ眠っている。

父も、自分の部屋でリラックスしている。

静かな、静かな家の中で、ソウルが元気に飛び跳ねている。

今日は外出できないけど、ギターをたくさん弾けるのが嬉しい。

O mio babbino caro

ソウルにも、オス猫としてのジェントルマンシップが….

あるのか、にゃいのか。

プッチーニのオペラに「O mio babbino caro(私のお父さん)」という結婚式ソング…いえ、アリアがあります。

私は、自分が結婚してもこれだけは唄わないと思いますが、いい曲です。

今日は朝から父を連れて、大きな病院へいってきました。

肺気腫を患う父の、胸の検査のためでした。

久しぶりに父を車椅子にのせ、半日ほど行動を一緒にしました。

家の中では、父と私の会話はいつも空中分解。

娘の手出しを煩わしがり、ケンカになってしまうのですが、今日は案外と上手く過ごせました。

けれど、人の多い場所で客観的に父をみていると、つくづく父は父だなァ…と何ともいえない気分になりました。

まず朝、時間になって部屋から出た父は、クリーニング後のシャツとスーツを着ていました。

これはいつものことです。

玄関を出て、手を出すと…「いらない」。

そして酸素チューブを着けようとすると、「車に乗ってからでいい」。

近所の人に見られるのが抵抗ある様子。
これは職場に出ていた頃も同じで、小さい会社ながら経営者の父は、社外の人前で酸素チューブを装着しようとしなかった(ので、家族はハラハラした)。

病院に着いてから、私は強く感じた。

「はっきりいって、96歳のオバーチャンのほうがラクだ。」

祖母は車いすを自分で引き寄せ、座位も腰を揺すって定め、足板も自分で倒し、よろけると片足でバランスとって身をひるがえすという、驚異的な反射神経の持ち主。

対して息子の父は、とっさに足を伸ばしたりできない。
お手洗いでも時間がかかる。

その理由の一つは、服装にあります。

看護士さんが「はい、上着脱いでくださ…..え?」

見ると、父はサスペンダーをつけていた。
シャツの下には、前あきの下着を来ていた。
「脱がされたくない」と思って購入していた(そりゃ無理だ)。

場所が場所なのでネクタイこそしていないものの、ちょっと移動するにも、「待て」といってボタンをしめシャツを入れ、ベルトを締めるので、時間がかかる。

短気な私は、イライライライライライライライライラ…..、けどそれが父なので辛抱した。

結果的に、来月検査入院をすることになりました。

その1泊入院を、「個室にしてくれませんか」という。

なんで?贅沢じゃない?うち、お金持ちじゃないよ?

父は「夜中何度もトイレに行くし、咳もうるさいので、周りに迷惑かけたくない」という。

看護士さんが「空いてない」というと「じゃ入院しない」と言い出す始末。

「あ・の・さ!命とどっちが大事?」と言うと

「….でも嫌だね。」

ピキピキピキピキ…..!(→娘のこめかみ)

ここでまた空中分解にならぬよう、ひとまずなだめて会計を終えた。

呼吸も苦しそうなので「帰ろう」といっても、「お前、お腹すいただろ」といって無理にレストランに入ろうとするので、一緒に食事をした。

「今日はすまなかったな。好きなもの食べなさい。」

食の細い父と外食するのは、とても久しぶりだった。

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父は、戦前の大地主の長男に生まれた。

終戦のラジオ放送を、村人が庭に集まって聴くような大屋敷だった。

祖父(父の父)は、九大の医者だった。

父いわく、「昔の医者は威厳があった」そうな。

黒い鞄に、磨かれた革靴。昼夜かまわずどんな病気も診なければならないので、責任や重圧も強く、ストレスがハンパではなかったので、子供でも近寄れなかったそうな。

そんなわけで「先生」と呼ばれる人に対しては、たとえ年下でも敬意をはらい…といった心構え。

ところが、オバーチャン(その祖父の妻ですね)は「異端」だった。

「昔は昔、今はベルトコンベアーだからね」って感じで、年老いた外科医に「若くて視力のいい先生が執刀してくれないと嫌だ」などと注文つける。
(ある意味どっちも我が儘だ)

親子でもこうも違うもの?といつも思う。

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母が亡くなって10年近く経ちます。

父は家事こそしないものの、自分のことは自分でやり、娘の私にも余計な手出しはさせません。

男の人というのは、「やっかいだな」とつくづく思います。

自分はファザコンではありませんし、むしろ、反発的でした。

以前に女医の友達Y子と話していたとき、彼女の父親も同じような感じで、やけに話が合いました。

その彼女ですが、結婚した相手はまるで「そんな感じ」の人で驚きました。

「ええっ!なんで???…(悪寒)」

すると彼女は言いました。

「でもね、やっぱりだらしない人は、生理的にダメなんだよね…」

私は、とてもわかる気がしました。

母が病床で言ってました。

「おとーさん、いつもパリっとした服装で清潔感があって、よく学校の先生と間違われてた。そこは好きだったわね。」

そんな母が亡くなった日の夜も、父はいつもどうり夜の9時に寝床に入り、朝の4時に起きて、湯をわかしていました。

そして、外では飲まず自分の部屋でしか酔いつぶれません。

私も外でみっともなく酔いつぶれる人は苦手ですので、やはり親の影響というのはとても大きいのだなあ…と思うこの頃です。

検査の結果はわかりませんが、娘としてはせめてあと10年はしぶとく生きていて欲しいと、切に願います。

M.J

ここしばらく盆休み前で仕事がたてこんでいるうえに、介護認定の更新でケアマネージャさんと打ち合わせしたり、日中は職場から何度もヘルパーさんに連絡したり、マンションと実家を何往復もしたり。

(実生活のことを記すとやはり愚痴になるな…)

自分でコマッタもんだと思うのは、こうしてたて込んでるときほど、寝る間を惜しんでアレコレやってしまうこと。

余裕のある時やればいいことまでやり始めるから、ただ要領の悪いバカ者だよね。

毎年夏は、2日にいっぺんは朝か夜にプールで泳いでいます。

ちなみに私の場合ダイエットのためではありません。

デスクワークや介護や、またギターの練習も…イライラしてくると

「あ〜思いっ切り動きてっ!!!」

と、なるのです。夏だし。

猛ダッシュで施設にINして、30分ヨガして、30分泳ぎ続け、頭が濡れたままサッとOUTする。自転車を飛ばして部屋に戻りシャワー浴びて身支度して、また出る…というのが私のパターン。のんびりサウナやマッサージはしないけど、爽快。

んで、仕事から帰って実家でケア。

父と祖母には柔らかい食事、兄たちのお料理はちょっと手抜き、ソウルはつまみ食いして叱られておわり。入浴の介助、洗濯、掃除、ソウルと遊んだりして……夜中にソウルと部屋に戻ってギターやピアノ鳴らして、寝る前に音楽やdvd鑑賞。

アドレナリンだけで解消して、5時間睡眠だけはキープ。

…….こんなんでいいのだろうか。

実家でお料理するさい、毎日思う。

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さて、記したかったのは(また)マイケル・ジャクソン。

ほんと、哀悼といいながら夢をいただいてます!

職場でもdvdが回り回っていて、マイケルフィーバーはやむ様子がない。

私は熱狂ファンじゃなかったけど、昔から兄の持ってる映像をみてたので、気持ちは理解できます。
「亡くなったからでしょ」なんて意地悪な意見もあるけど、たとえ莫大なプロモを仕掛けようが、連日テレビに同じタレントがいようが、また突如亡くなろうが、なかなかこうはならない。でもひたすらソニーが儲かるのかと思うと、ちょっと嫌なかんじ(笑)。

私の周りでとくに人気のあるマイケルdvdは『ライブ・イン・ブカレスト』。

これを貸すと、数人が「もうマイケル信者になりそう」といってなかなか返してくれない。

1992年ルーマニアでの「デンジェラス・ツアー」のライブ映像で面白いし、身体のキレが絶頂期のマイケルが、まさに全身全霊で踊り、そのうえ「生歌」で熱唱してる。

どんな演出も、あの歌唱力とダンスにはかなわない。マイケルの汗は本物だ。その熱気と冷静さのバランスも絶妙で、「大丈夫?」と思うほどのところでちゃんとファンを揺るがしていて、そのテクニックが憎らしいほどに上手い。

このライヴdvdだと歌詞がテロップで出てくるので、マイケルがかなりベタ(ストレート)な歌詞を書くことが判り、ときおり「?」なんだけど、でもとても純粋な人だということが伝わる。

MCもほとんどなく、人をアッと言わせるのが好きなマイケルらしいイリュージョンも楽しめます。

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以前にみたのでうろ覚えだけど、マイケルが「ガンズ・アンド・ローゼス」のスラッシュ(ギター)と共演したとき。

スラッシュは完全に段取りを無視してソロギターをかき鳴らし続けてた。

暗闇のなか曲はとっくに終わり、スタッフは慌てて彼を止めにはいる始末。でもスラッシュはその手を振り払ってしまう。

そこに、暗闇の中もう一人の猛ダッシュの影が。それはたった今歌って消えたマイケル。
「弾かせておけ」というようにスタッフを追い払い、またすぐ脇に戻って衣装の早変わりをし、次のサウンドが流れてもまだ弾いてるスラッシュに衣装の帽子を飛ばしてた。

かっこいい〜。

「イッてしまう」のは一つのアーティスト性かもしれないけれど、ショーにおいては「イッてる」ように見せながらキチンと段取りできることが、とても大事なのではないかと思った。

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マイケルが膠原病を患っていたことも知らず、いまだに「あの肌は全身漂白に違いない」(現代医療ではあり得ない)というゴシップだけを記憶してる人がいると、「ちょいファン」にさえ呆れられる。やっとそんな時がきたのは、皮肉にも亡くなったあとだ。

でもこんなライヴを目にしたら、「黒い時とか白い時なんて、カンケーないじゃん」と思う。

「白人を意識したメイク・ファッションをしてたじゃないか」というなら、茶髪や金髪あたりまえ、外国人気取ったファッションを日常的にしている私たちはどォなの?と思う。

まして、バンドやったりしてれば、あのくらいの化粧や衣装は不自然じゃないし。

アーティストに対し健全でないことを責めるような意見を聞くと、“健康でいながらマイケルのもつ芸のうち一つでも勝てるものがないのに、言うなよ〜”と思ってしまう。

でも、あのライヴ映像をみていると、まるでそんなことは「どうでも良く」なってしまうのでしタ。

おしょうがつのこと

1月もおわりちかいですが、やっと夜に自分の時間を持てるようになりましたので、また気ままに更新していこうと思います。

今年も正月をはさんでいろいろありました。
記しておこうとおもいます。

おばあちゃんはやっぱりスゴイ

暮れも27日のこと。祖母の脳CTの結果、硬膜下出血がみつかりました。

その1週間ほど前から、箸を落としたり、右半身の様子がおかしいと気づきました。

といっても、いつも見ている者でないと判らない程度に軽く、往診の先生は「95歳ですから」と言う。

仕事納めの翌日、安心を得るために脳のCTを撮りに連れて行くと、やはり出血していました。

その足で、市内の大きい病院にタクシーで救急外来で駆けつけました。

正月休みに入った病院に駆けつけてくれた脳外科の医師は、「若ければ今夜オペするけど…正月明け5日にしませんか?」と言う。

「その間に麻痺が進んで転倒したらどうするんですか?」と訊くと「ご家族が見守っていて下さい」という。

オペそのものよりも、高齢であることや、人員が足りないことがその医師を躊躇させていた。
“つまり今日はオペがしたくないんだな”と思った。
医師に自信のない状態でいい結果にはならないと思い、話し合いをやめ祖母を連れ帰った。

オペは、私の中でやると決めた。祖母は、迎えがくるまで精一杯生きてゆきたい人だからだ。
やるなら早いほうがいい。高齢でリスクは高くなるばかりだから。

話はそれるけど、祖母のようなお年寄りがどれほど神妙な気持ちで「正月」というものを迎えるか、家族は知っている。私が大晦日の晩におせち作りに励むのも、90%は祖母のためなのです。

翌日28日は日曜だったので、29日まで営業してる脳神経の、なるべく評判のいい病院を探した。

一つ遠いけどみつかった。翌朝、すぐに兄と祖母を連れて行った。
医師はきっぱり「早速今夜やりましょう」と言った。
8時間後、祖母は自分がなにをするのか把握できぬまま麻酔された。

私は不安だった。自分の頭にドリルが刺さるような気分で頭がガンガンしてきたところで、祖母が出てきた。

はやくも意識があって、私の手をギュッと握りかえした。

ご先祖さま、おじいちゃん、お母さん、神さま、…歴史や日々の生活、すべてに感謝した。

ひとつ余談ですが、人手の足りない院内では、自分の状況が把握しにくい患者に「拘束衣」をつけます(家族の同意を得て)。そうしないと点滴やもろもろの管を抜いてしまうから。
必然的に、高齢者を就寝中に拘束することが多い。

けれど、祖母を通しての私の経験では、「拘束」という行為はどうやら人間の本能に反しているようで、繊細なお年寄りは精神が錯乱して認知症が進むように思う。

なので今回は病院に願い立てて付き添い看護させてもらった。

目が覚めるたびに声をかけるだけ、「ああ、家族がここにいる」と状況を把握できるようで、じょじょにしっかりしてきます。

加えて、なるべく早く退院させてもらうことが本人と病院にとっていいよう思います。

看護は、親しい者がするのが一番と思います。そして環境は、慣れ親しんだ場所であればあるほど回復が早いように思います。

今後、介護に携わるかもしれない方たちのご参考になれば…と思います。

—————

オペはうまくいったようで、祖母も元気で、なんと31日には帰宅を許された。

おかげさまで、今年も祖母とお正月を迎えられました。
今年の正月ほど嬉しかったことはないです。

年が明けて5日、祖母は抜糸も終え、CTでも血がキレイにとれていました。
箸も持てるし、字もまた書き始めました。
ただ、次の検査まであとひと月は油断できない。あと少し、気を抜かないでいようと思います。

そんなわけで慌ただしいけど、とても清々しい気持ちで年明けを迎えました☆

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