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2008-05

raindrops

raindrops keep fallin’ on my head ♪

私の今年はBurt Bacharachのコンサートに始まった。感動して2回も行き、バカラックがBGMになるような一年を過ごしたいと思いつつ早、6月…ちっとも似合ってないナ〜(_ _;)

雨の多い5月だった。同じ雨でも、今日のような空の明るい、静かな小雨は好き。読書に音楽もよく似合う。

どんな雨の日が好きだったかな?と考えてみる。
そういえば、早春の…菜種梅雨が好き。私の記憶によみがえるのは、こんな日だ。

ひとつは、中学を卒業した春。卒業式の余韻の中、少し大人になった気分で髪を短く切る。駅に、仕事を終えた母が傘を2本持って待っている。新しい制服やお弁当箱を買ってもらって、一緒に喫茶店でお茶をする。ガラスの向こうは小雨の粒。菜の花や沈丁花の香りが湿り、立ちのぼる。
母は「髪、似合うじゃない」と言ってくれた。「アンタで4人目、これで最後ね。思いっきり青春しなさい。」と言って、初めてのように笑ってくれた。
帰りのバスの中「16歳になったら、ユーミンの歌みたいな恋してみたいな」なんて思った。

もう一つは、やはり母と過ごした3月のある日。
朝から往診の先生が来て、点滴を受けた母は少し顔色がいい。
末期の膵臓ガンの母は、自宅で家族が看護していた。おばーちゃんが「今日は顔色がいいね」と言う。私も、今日のお母さんなら治るんじゃないかと思った。
すると母が窓の外の庭をみつめて、指をさした。「なに?」近づくと、か細い声で「雨…咲いてる」と言う。「あ、雨…寒くなあい?」と訊くと、母は首を振って「降って…良かった」と言った。
そういえばもう何日も庭の木々に水をやっていなかった。母は庭を大事にしてたので、内心気がかりだったのだろう。けれどこれ以上負担をかけるのが嫌で、何も言わないでいたに違いない。
母には笑う力がなかった。午後は母の好きなブラームスをかけながら、本を読んで聞かせた(その翌朝、母は逝った)。あのとき無表情のまま、何を思って眺めていたのだろうと今でも思う。

春は、あまりに花盛りだと少し気が重い。けど、小雨はなんだかいい。
こうして思い出すと、私にとって、小雨は母のイメージがあるのかもしれない。

雨の日の猫は…顔洗っておとなしく寝てるものと思ってたけど、ソウルは違うみたい。

a viewpoint

子供の目線で世界をみたら、失くしたものがみつかるだろう。

靴磨きの目線で世界をみたら、隠されたものがみえるだろう。

猫の目線で世界をみたら…、なんとかなるさと、思うだろう。

(by 長谷川鮎麻呂)

…と、そんな詩が出た昼下がり。

祖母を車椅子にのせて近所を散歩した。はじめは「車いすに乗りたくない」と言ってた祖母も今では「かわいい花が咲いてる」とか、「道が汚い」とか、ベビーカーに乗った赤ちゃんと同じ目線で「ハイ、コンニチハ」と話しかけたり。「戦争中、どんな隙間からでも咲いて出る草をみて、生きなきゃと思った」…そんなことを思い出すと言う。

目線の高さというのはとても大事だ。

以前、自動販売機で釣り銭を取り忘れたまま立ち去ろうとしたとき、すれ違った子供が「あそこにお金が残ってるよ!」と教えてくれた。誰も気づかないことを、子供は気づく。

目線が高くなれば、ビルや建物も小っちゃく見えて、ついでに物事も小っちゃくみえるだろう。

でもやっぱり、足下って、大切にしなきゃいけない。

靴磨きのおじさんには、いろんな足がみえるそうだ。

「見栄を張った足」「努力してる足」「いろんなものを踏みにじってきた足」

…私はどんな靴だろう。

我が国は、ブカブカの靴を履いていないだろうか。

ちなみに、猫の目線は?…ソウルくんに聞いてみた。

…。

ソウルの仲間は、屋根の上や、軒下や、窓辺にいる。

ソウルも、悠々と一番高いとこで寝てたり、かと思うと、おやつを食べてる私をじっと椅子の下から睨んでる(これがコワイ)こともある。

「ぼくはすべてお見通しサ」といわんばかりに。

cat grass

-猫草…cat grass-

猫を育てて2度目の夏を迎えます。

猫には年に二度、初夏と初秋に換毛期があるようです。とくに夏はすさまじいそうで、すでに今も毎日クイックルワイパーのお世話になってます。

あまりに多いので、ソファやベッドにコロコロ(粘着テープ)をする際、「ついでに、えいっ!」とソウルをコロコロしてみた。すると「ぎょえ〜!」ハゲてしまったんじゃないかと思うくらいごっそりとれて唖然とした。

「にゃにするんだ!テメー!!」とソウルがご立腹…そりゃそうだ。乱暴なことしてごめんね。

アビシニアンは短毛種だけど、去年の秋、ソウルはたびたび「ケッケッケッ」と飲み込んだ毛玉を吐きだせずに苦しんでいた。

そこで、今年は夏を迎える前にネコクサを栽培してみることに。

これが育つとツンツンした草が生えて、それを食べる猫の胃を刺激して毛玉の排出を促す。うまくできてるな〜…なんて、ほんとは植物好きだから、育ててみたくなったのだ。

栽培キットにはフワフワの土と種が。

どんな種でも、発芽を待つのは楽しいです。

笑顔がすき

相撲が好きです。

別に国技だから好きなんじゃなくて、純粋に楽しいから。日本人とか外国人とか、私はそういうアレルギーはない。

今場所は琴欧州が初優勝。「やた〜っ!」

スピード出世したけど、長いこと怪我や挫折が続いたし…けっこう辛かったろうな、と思う。でもなんていうか、この人がはじけたら…もっと強くなりそう。

それにしてもあの赤ちゃんみたいなスマイル♪

ちなみに、朝青龍も好きなんです。強くて、きっぷのいい親分肌って感じで、愛嬌あって。

なんであんなにバッシングするのか…人間味あっていいと思うけどな(品格て、誰かが判断するもの?)

とにかく、笑顔って、やっぱりいいです!

解放区

猫がこんなにスイートでオモロイとは同居するまで知りませんでしたが、本当に優秀なセラピストだと思う。なんといっても喋らないのがイイ、なんて声も聞こえてきますが…けっこう喋ってるんですよネ、ほんとは。
でも室内で過ごさせているせいか、外への憧れ(?)は強い。窓を開けると、それこそ1日中でも眺めています。
けれど庭の窓を開放しても、ぴょん!と出たあと蟻んコにびびって舞い戻ってきたり…やはり温室育ちになってしまったのかな。

近所に野っぱらがあって、そこにどうもノラちゃんがいます。
冷たい夜の雨の中、自転車を漕いでると、そのニャンコがぴっ、と道を横断しました。そして近隣の家の軒下に入り込んでいきました。
そんな姿をみると、一瞬ソウルは幸せだ…なんて思います。
けれど実際は、どちらが幸せかなんてわからない。
自由にたくましく駆けめぐり、命をつないでこそ動物なら、たとえDNAが環境に応じて変じているとしても、飼い猫に生まれて幸せかどうか…人間にはわからない。

ただ、思うんです。
「居ていい場所があるはずだ」って。
この世に生まれたなら、どこかに居てもいいはずだって。
ニンゲンも…税金とか、居住権とか、お金がなきゃやがては追い出されて、生かしてもらえない。
公共の場でも、やがていろんな理由で追い払われてしまう。
わかるけど、でもそんなの、ほんとは…おかしい気がするんだ。

これは深くて自分の中でモヤモヤのままの話なので、今はまだうまく表現できない。

とにかく、以前室内のあちこち閉めきっていたけど、今はなるべく解放している。
もちろん入られて困る場所、危険な場所は別だけど…出掛けるから「この部屋だけに」というのはやめた。
最初は「どこに入り込んでいたか」と帰宅してハラハラしたし、今でも「あ、こんなとこにゲポが!」なんて時イラっとするけど…一緒にいる以上、ここは私だけの世界ではない、と思うようになった。

なにかに、「ここが世界と思えば、猫は暮らしてゆける。移動させるのはかえって苦痛である。」と書いてあった。
確かに、不本意に連れ出されては嫌だろうと思う。
でも、猫もニンゲンといると、同じような感受性が養われているんじゃないかと思えてならない。
これも、今になって感じることだけど。
私は時々、実家に連れて行ったりする。それでも、いつもこの狭い「世界」で窮屈な思いさせて、ごめんね…と思ってしまうのです。

ロスト・イン・トランスレーション…

ソウルがいっしょけんめい鳴いてます。

私、別になにも食べてないし…いったい何を訴えてるんだろう?

一緒にいるにつれ、コトバはなくても共鳴できるときがあります。

けれどやはり、ネコ語の翻訳ツールがあれば…と思うときがあります。

いい子に待たれても、困ります。

たとえば夜更け、ちょっと怖いなーと思うほどの静けさの中、突然外でゴトッって音がしたときなど、ソウルもはっ!”と扉を凝視します。

逆に、ソウルが突然ベランダに反応すると「え〜!なにかいるの?」と怖くなってしまいます。

で、一緒に顔見合わせて「だいじょーぶだね」と確認して寝入ったりします。

いじけてる時もだいたい判ります。長時間お客さんの対応してると、不満そうにウロウロ出入りしてスネたりします。

というと甘えたのようですが、そうでもありません。気まぐれなものです。

それにしても、まだ鳴いてる…「なーに?いってごらん?」「…ルッ。」
あ、視線の先に、食べ残しのチョコの包みがあるではないですか。しかも、中身はなし。

「あんた食べたわね〜!!!」「…ルル(もっとくれ)」

やりません。楽しみにとって置いた一粒がやられてたなんて、隠していたのにいったいどーやってみつけたのか。
そういえば、耳とか鼻は異様にいいです。たとえば、私が帰るとマンションのエントランスからソウルの鳴き声がするほどです。あんまり鳴くとうるさいから、慌ててドアに入ります。

…てことは、番犬ならぬ、番ネコになるかも?

……..う〜ん。ないな。

だって、物音するとコイツは真っ先にベッドの下に隠れるモン。


「うなだれても、あげないわよ。」

まさに肩を落としている様子。

トランスレートされると私への不満をすべて喋ってしまいそうなので、この位のコミュニケーションで十分かナ、とも思うのでした。

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