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2008-10

ドストエフスキー

ことしは小林多喜二氏の「蟹工船」や、亀山郁夫氏の新訳「カラマーゾフの兄弟」が売れに売れたと聞きます。
私は「これぞ現代の預言書」なんて宣伝文句があまり好きではありませんが、作品の持つ魂みたいなものは、ちゃんと時代の中で呼ばれて出てくるのだと思います。

その流れなのか今秋、亀山郁夫氏の訳による「罪と罰」が発売されるという。

ドストエフスキー

20代のころまで「ドストエフスキーはいい」とか、口にできませんでした。
私のようなどっから見ても本読まなそーな者が口にすれば、「推薦図書だけ読みました」って感じだし(昔、不良たちが校舎裏で「トルストイがさあ!」「スタンダールがよお!」なんて会話してウケるCMがあったような)、それも当たらずも遠からずだったので、口に出したくありませんでした。

でも今は、人生の中で読める本の数は限られているし、何冊読むか?よりも、どんな本を読み、それを心のライブラリーにどう収めるかが大切に思えています。

私が初めて手にしたドストエフスキーは、新潮文庫版・工藤氏訳の「罪と罰」でした。
中学の冬休み、上下巻を一昼夜で読みました。
太宰治の「熱病」ウイルスと違い、ドストエフスキーの迫力はまるで「落雷」でした。
緻密なキャラクター設定、一人の人間が書いたと思えないほど迫力をもって繰り広げられる対話(正反合)…多重人格か、詐欺師のような(すみません)頭脳の持ち主だと思った記憶があります。

「罪と罰」

私にとって理想の女性像ともいえる存在が二人います。
その一人が「罪と罰」のソーニャです。

この作品のラストへの向かう疾走感や、静かなシベリアの情景は、思春期の私を熱烈に感動させました。
あの舌のもつれそうなロシア語の名前(愛称も出るのでさらにややこしい)がつらつら出てくるほど、何度となく読み返したものです。

ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ。この法学部で苦学する優秀な青年は「一つの罪は、大衆の正義となりうる」と信じて金貸し老婆を殺害します。
ところが、そこに偶然居合わせた罪なき妹まで口封じに殺害してしまう。
「将来を閉ざすにはもったいないほどの正義感と未熟さをもつ」彼は、苦悩します。

ポルフィーリィという判事が登場し、雄弁に、じわじわと、ときににズカズカと犯人の心に入り込み、たくみな心理戦で青年を追い込みます。
作品の要となるこのやりとりは、推理小説としても見事でドキドキします。

ソーニャは、娼婦です。飲んだくれの父と、病気の母、幼い妹弟を抱え、一人その身を売って家族を背負い…貧困の時代を力強く生きる娘です。

「街をお屋敷と思いなさい、この広場ぜ〜んぶが私たちのお庭、私たちは、貧しくない…」こんなようなことを、幼い弟・妹たちに言いきかせるような女性です。
そして、罪に苦しむラスコーリニコフの心を真っ白に解き放つのが、彼女です。
「十字路へお行きなさい、行って罪を告白し、大地に接吻なさい。」
彼女の持つ高潔な精神、大地のような強さ、野花のような清らかさが好きです。
私は何度読んでも、このシーンで泣けてしまいます。
娼婦のソーニャは、本当のマリアではないかと思えるのです。
それはただ「贖罪」のイメージではなく、ソーニャを思うと「最善を尽くして生きる」ことの謙虚さ、美しさを思わせてくれるのです。

物語はこの青年が自白に向かうまでの数日の話と、シベリアでのエピローグで終わります。

「カラマーゾフの兄弟」

遺作の「カラマーゾフの兄弟」は、もしも作者が蘇るのなら続きを書いて欲しい作品の一番!です。
この(読後の)充足感はなんだろう?とただ圧倒されました。

あらゆる物語のキャラクターは、ドストエフスキーの小説に集約さているような気がします。
強烈なキャラクターや(「罪と罰」なら、判事や悪魔的な魅力を放つスヴィドリガイロフでしょうか)、そんなキャラクター達の中でひときわ清らかに映るソーニャやアリョーシャのような存在。
「父殺し」が話の中心となるこの作品には3人の兄弟が登場しますが、キャラクターの典型です。

長男…粗野で直情型。次男…知能先行型。三男…信仰心が厚く誰からも愛され、精神力が強い。

名章「大審問官」はじめ、彼らの見事に別の思想、人格がバトルするのですが、それでも彼らは「血」で繋がれています。
愚か者のオンパレードの中で、 はっきりいって私たちにとって一番遠い存在が「健全なるアリョーシャ」ではないかと思います。
ですがこのアリョーシャは、後に革命家になるようです。
家庭での「父殺し」は、社会の長である「皇帝暗殺」へと話がうつり…という構成の半ばで、ドストエフスキーはこの世を去りました。
天使のようなアリョーシャが革命家となる過程、とても読みたかったです。

新訳「罪と罰」、ちょっぴり読んでみたいです。

仄暗い部屋の中で飛び散る真っ赤な血から、真っ白いシベリアの平原まで。

罪を感じることなく生きてゆける人なんて、いるのでしょうか。
いるとしたら、それが一番の罪かもしれませんね。

たぬき

週末、ソウルにめずらしく首輪をつけてみた。

すると目のわるいウチのおばーちゃん、「タヌキがいる!」

首に輪っかがめり込んでお顔まんまる、ちんまり座る姿は遠目にタヌキだった。

兄1「おい、メタボ猫」

兄2「首はどこへいった」

父「ほんとうにアビシニアンなのか?」

祖母「たぬき」

ひどい。ひどすぎる。セクハラ…コトバの虐待だ。

みんなボクにおやつくれたくせに!

兄1「こいつ、やらないとシャーって怒るしな」

兄2「それでウ〜ッって怒りながら食べるんだぜ」

父「器用だな」

祖母「たぬきちゃん」

むか!…失敬で不愉快なので、ボクはかえることにしました。

相棒「あれ、カバンに入ってる…じゃ帰ろっか、たぬき」

…..みゃ(お前もな)。

JIM HALL

「秋はワイングラス片手に、ジャズでもき…」
「(ばしっ!)寝ぼけんな」
…ソウルにつっこまれそうなほど今は贅沢なセリフ(だいたいお酒のめないし)。

ところが先月、『ジャズギタリストのジム・ホール来日、30年ぶり日本で「アランフェス」を演奏』という記事をみつけました。

「いきたい…」

JIM HALLの「アランフェス協奏曲」

ジム・ホールの『アランフェス・コンチェルト』はジャズの名盤ですが、私はジャズをかじりたての頃、「通」から「これいいよ」とそっけなく渡されたのが出逢いです。

ジム・ホールやチェット・ベイカー、ポール・ディスモンドですから、西海岸系といいますか…とかくモダンでかっこいいのですが、私が感動したのはやはりさいごの「アランフェス協奏曲」でした。

まずお馴染みのテーマが流れ、プロローグがおわると一転して、それはもうカッコいいジャズの世界がはじまります。
全体に押さぎみのトーンに、淡々とベースやドラムやピアノが絡み、やがてサックスがうねり、ブレスの長いペットが切々と鳴り…まるでアランフェスの栄枯盛衰が浮かぶような19分で、身体がわなわなしていました。

「アランフェス〜」は叙情的な曲ですが、ジャズで聴くのは初めてでしたし、それが見事にモダン、かつ情熱的で…とても緻密な構成が伝わって、あらためてジャズ・セッションのなにか「高度」なものを感じました。
「きっと同じ釜のゴハンを食べるチームでも、こんなに息はあわないだろな〜」演劇とかスポーツでこんな「対話」ができたなら….なんて歯がゆい気持ちがしました。

後日、近所のオーディオ屋さんにそのアルバムを持っていきました。
狙いは「パラゴン」というおっきな「壁」みたいなJBL社のスピーカー。
学芸大のオーディオ屋さんにありましたが、ン百万もするので、そうそう売れません。オジサンはいつも「何持ってきたの?」と快く、そしてすごいアンプやデッキのシステムで、曲を流してくれました。

その真ん中で、音につつまれたときの心地よさ…忘れません。

————

ことしは2月に、バート・バカラックの曲を生のフルオケで鑑賞しました(手も触れちゃった)。
コンサートで鼻血出そうになったのは、生まれて初めてでした。

そして年の終わりには、ジム・ホールが聴けそうです。

なんと嬉しいことでしょう。

calling you

おねむり

おねむり

ここはお前のいていいばしょ

おかあさんのゆめ きょうだいのゆめ

ミルクを探してないた日のゆめ

ひとりでゴハンをさがしはじめた日のゆめ

それでも向こう岸をみつめてる

風も 水も 油断できないけれど

きょうの陽射しは、おまえにとってもやさしいね

—————-

きょうはわずかな時間ですが久しぶりに河川敷を歩きました。

ボッチ(いつもひとりボッチ、だから)は健在。こちらめがけて野原を駆けってくる…久しぶりなのに、なんていじらしい!

河川敷の草むらには、さまざまな生と死の光景が潜んでいる。

馴染みのホームレスのおじさんは、猫を捨てようとベンツから降り立った中年夫婦とケンカをしたそうな。
いるんだ、ほんとうに…だからノラが絶えないのだ。
ベンツを乗りまわすいい大人が、家庭ゴミでも遺棄するようにコソコソ河川敷にペットを捨て、ホームレスがその猫に自分の食べ物をわけあたえたり、お金を集めて避妊手術を施したりしている…想像したら頭から湯気がたってきた。

きょうは朝早くから家を空けてたので、やはりソウルが気になって足早に帰った。

最近、帰りが遅い日はソウルにしていることがあります。
それは、カエルコール!ケロ。

駅についた頃に、自分の部屋の電話を鳴らす。

→ソウル「ンるっ?」と電話機に近ずく(だろう)。

「もうすぐ帰るよ」とかなんとか声を出して、切る。

→ソウル「…..ミャ〜」(?)

約5分後、相棒が到着。

なんとなく、こうしたら安心するかなあ〜と思って…

頭コワレテルって感じでしょうが…..否定しません(^^;)

ぷらん

「さいきん、ぼくおるすばんがおおいです。」

「あいぼうは、とつぜんかえって、ドタバタでかけてゆきます。びっくりします。」

今月も、もう半分….どんなプランも、プランはプラン。

秋の終わりにもなれば、仕事も家庭内の細かい問題も、先送りの選別がなされる。
まず切り捨てられがちなダイエットなぞ、「さ、ぜい肉諸君。冬もやってくるので来年までに荷物をまとめておくように」なんて問題そのものである脂肪とほがらかな関係を築いていたりする。

わたしの中で「ことしのプランもぐちゃぐちゃやで」となってくるのが、たいてい秋です。ヘタすると、ドリフの長屋ネタのオチみたいにてんやわんやになります。こーいった状況に巻き込まれやすいのが私です。

こんなとき願うのが「健康無事」です。あとは自分の努力次第と思います。
身体が健康で、厄災なく無事に生活できる…すごく当たり前だけど、守りたい者がいたり、やりたいことが多いほど、なにより健康が資本です。

さいきん寒いせいか、夜はソウルがお出迎えして、お腹にのって頬ずりしてきます。普段は生意気なのに…こんなときはすごくかわいい。決してソウルが若いからではなくて、小さい動物なりに、お留守番したり、具合が悪いとじっと自己治癒したり…1日のプランをたてて生活してる姿に、なんでしょうね…きょうも無事に眠れることが、ありがたく思えるのです。

ぼくって

ふとみると、同じ場所からしつこい視線を感じることが。

こわいよ〜。

狙われてたのね、ぴんきー。

いきるくにのあじ

「きょうは晴れだよ!」
ソウルちゃんが枕元を飛び跳ね、私の鼻をガブッ…とご報告。

この子には、「生きる国の味」がする。

きのうはお友達のあやこさんとブランチ。キレイな瞳をまっすぐ向けて、面白い話を聞かせてくれる…短い時間(といっても4時間だけど)お互いよく喋り、笑いすぎてピザが胃から飛び出そうでした。
夕方ヘアカットして帰宅。のびた髪を短く、軽くパーマしました。
ソウルはヘアクリームの香りをクンクン、髪をフミフミ…翌朝もしゃもしゃ。

かくれんぼ、ベランダ散歩、窓の外の虫とおしゃべり…お天気がいい、それだけですこし嬉しい。それは人間もソウルもいっしょ♪

目覚めて「起きあがる」この当たり前な行為は、実はたいへんなパワーだと思う。

朝、目覚めと同時にシャキッと起きあがる人がもう一人そばにいる。
私のおばーちゃんだ。
大正2年からこんにちまで、祖母はいったい幾つの朝をこうして起きあがってきたのだろう。
どんな辛い夜明けも、朝を迎えいれ、起きあがり…これからも、もし病んでも、ずっとおばーちゃんを起こしてあげたい。

というのも、飛び込むニュースに、ふっと時代の終わりを感じることがある。

けれど祖母のように、時代の終わりを幾つも感じながら、今日まで淡々と、とても力強く生きてる者がいる。

ソウルのように、見るものすべてに目を輝かせ、クルクルと、時にじいっと、小さな窓から必死に「世界」をみつめる者がいる。

踏まれた野花でさえ、天の光と雨を頼りに、また起きあがろうとするのだ。

なにか、とても…けなげじゃないですか。

さ、私も、ふんばろ〜!

キンモクセイ

匂いの魔法…キンモクセイの香りに蘇る、幼い日の通学路。

実家の玄関に咲いているせいか、朝露に漂う金木犀の香りには胸がキュン。
私の住む付近には庭木を楽しむご家庭が多く、おかげで駅まで自分の庭を歩いてるような気分です。

さて、食欲も秋。
私は夏に食欲が落ちるので、お腹が「秋だよ」と呼びかけてきます。
ソウルの食欲も激増!でびっくりです。
「ミア〜ォ」、「グルルッ」、「ワン!(え…)」すべて「腹へった」。
そーね…私たちは毛布やコートがあるけど、あなた達は自分で身体を暖めるしかないものね。

—————

仕事でよく通る散歩道に、美味しいパン屋さんが数件あります。

両方とも渋谷区の広尾エリアですが、最近ガーンと値上がりしてる大手ベーカリーに比べれば…材質、味、まだ高くありません。

上の写真のブルティガラでは、バケットサンドがお気に入り。
一句。
バケットは ちょいと歯ぐきに刺さるケド チーズやサーモン挟むとウマイヨ
関西にもあるそうです。

下の写真は、アリエッタ。明治通りにあります(五反田にもあるそうな)。
小ぶりなお店がやたら混んでて…ずっと「あたしは並ばないっ!」なんて横目にしつつ、スキをみて(なんの隙だろ)買上げたら「おいすィ☆」…気に入った(- -;)
みなさん、貴重なランチタイムをだてに並んでるわけじゃないんですね。

ニュースでは、海外経済の影響で“大恐慌時代以来の不況”がやってくるかもしれないという(たしか我が国のバブル後に、財政資金の投入の遅れを批判していた国々では…)。「日本の打撃は小さい」と聞いても、米が風邪ひいて日本が平熱、なんてアヤシイ。せめてお茶や、お米やパンは、美味しいもの口にしたいです。

あとは、気分だ。
だって。ウチに帰って袋をあけると、暴食猫が飛びかかってきて、パンチ&キックのリング戦になるし、爪たてられて生傷たえないし(ほんと)…味も形も、わかんなくなるものね。

一度でいいから、穏やかにソウルとお茶を楽しんでみたいです。

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